青野ゆらぎ

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価値ソフトとタトゥー

2025-10-13

グレッグ・イーガンの「ディアスポラ」は30世紀の宇宙を舞台にしており、そこでは人類は3つのグループに分岐している。

  1. 生物学的な身体をもつ肉体人
  2. 肉体人のかたちをしたロボットであるグレイズナー
  3. ポリスと呼ばれるコンピュータ・インフラストラクチャー[1]上でソフトウェア[2]として生きるポリス市民

また、それぞれのグループのなかにも派閥のようなものがある。
たとえば、肉体人の中にはさまざまな遺伝子改変[3]を試みて環境に適応しようとする者がいれば、「不変主義者」とよばれる遺伝子改変を拒否する人々もいる。
一方、ポリスは複数存在して[4]それぞれに個性をもっている。《コニシ》ポリスの市民は物理的現実への関心がうすい傾向にあり、《カーター - ツィマーマン》は物理的な宇宙の探究に興味をもっている[5]。《アシュトン-ラバル》は美学的な傾向があって、観境 スケープ と呼ばれるポリス内の仮想空間の自由度を最大限に活用して、ビジュアルアートや奇妙な人造生物の創造にいそしんでいる。

多くのポリス市民は、価値ソフト アウトルック というソフトウェアで自身の精神を調整している。それは「ひとそろいの価値観や美学を提供する」もので、たとえば作中では、主人公ヤチマがイノシロウという友人から異質な価値ソフトの使用をすすめられるシーンがある。

「"死"の評価が十倍上昇する? 勘弁してください」
「それは、最初の評価が低すぎただけのことだ」

ディアスポラ, p. 75

価値ソフトはポリス市民が精神の統一を保つために有用だが、イノシロウは価値ソフトの利用によって道を踏みはずしてしまう。

「なにがあったんです? 自分になにをしたんです?」
イノシロウは聖人のように微笑すると、両手をさしだした。それぞれの手のひらの中央に睡蓮の花が咲き、どちらもまったく同じリファレンス・タグを放った。ヤチマはためらってから、そのにおいについていった。
それは《アシュトン-ラバル》のライブラリに埋もれていた古い価値ソフトで、肉体人を悩ませた古代のミーム複製子 レプリケイター から、九世紀前にコピーされたものだった。 それが押しつけてくるのは、自己の本質と努力の無益さに関する、いわば気密封印された信念ひとそろいだ……核となる信念の弱点を浮き彫りにしてしまうあらゆるモードの論証の、徹底否認こみで。

ディアスポラ, pp. 202-203

この(いくぶん戯画化された)仏教思想のような価値ソフトを実行することで、イノシロウは世界にたいする努力を放棄するようになった[6]
さらにおそろしいのは、この価値ソフトが自己確証的であることだ。

標準的なツールによる分析は、その価値ソフトが例外なく自己確証的であることを裏づけていた。ひとたびそれを走らせた人は、心変わりは不可能になる。それを走らせてしまったら、もう逃れられない。

ディアスポラ, p. 203

ここでいう自己確証的とは、おそらく、価値ソフトがそれ自身の正しさを保証するようにプログラムされているので、気まぐれによる心変わりや、他者による修正のこころみが不可能だということだろう。
自分の正しさを自分で確かめるのは、端的にいえば狂気の営みだ。

*****

この自己確証的な価値ソフトの話を読んで、はじめに連想したのが映画「メメント」だった。
10分しか記憶がもたない主人公・レナードが妻を殺した犯人を追うサスペンス映画で、主人公は重要な情報をタトゥーとして身体に彫りこんでいる。目覚めて記憶を失っていても、それを確認することで、自分がなにをすべきかを知ることができるのだ。タトゥー以外にも、ポラロイド写真に書きそえられたメモが同様に重要な役割をはたす。

しかしこの映画をよく見ると、主人公はタトゥーや写真のメモでみずからを操作しているのではないかと推測されるようになる。そこに事実ではない情報を書いておくことで、未来の(記憶を失った)自分の行動を操作できてしまい、しかも未来時点ではその真偽がうたがわれることはない。
そこに書かれた情報がただしいというのが、彼の人生の連続性のよりどころだからだ。

*****

彼ら(イノシロウとレナード)に過ちがあったとするなら、それは、価値観や記憶の操作をつうじて、自己の根拠や連続性を手放したことだと思う。その切断が狂気へとつながる。

書籍情報

グレッグ・イーガン著 山岸真訳「ディアスポラ」、ハヤカワ文庫

脚注

  1. 《コニシ》ポリスの物理的インフラは、シベリアの地下200メートルに埋められており、そのデータは太陽系全体にバックアップがあると描写されている。また、本作の後半で宇宙船に積載された《カーター - ツィマーマン》ポリスの大きさは肉体人ひとりよりもかろうじて大きい程度だという。
  2. グレイズナーとポリス市民は、意識をもったソフトウェアだという点においては同じである。しかしグレイズナーは、自らが物理世界のロボット上で実行されることに価値をみとめている。
  3. これらの改変は、鰓や翼を生やすといった肉体的なもののほか、言語や認知機能に及ぶものもある。後者の例として興味深いのは夢猿人 ドリーム・エイプ だ。言語能力をあえて除去することで、彼らの物質文化は衰退し、もはや自分たちを改変することができなくなっている。彼らに「夢」という接頭辞をつけたイーガンのセンスはすばらしい。また、彼らの後戻りできなさは、価値ソフトの話とも接続される部分があるように思う。
  4. 複数のポリスの(物理的・政治的な)共同体を指してポリス連合という。ポリスからポリスへと引っ越すこともできて、主人公ヤチマは作品の中盤で生まれ故郷の《コニシ》ポリスから《カーター - ツィマーマン》に移った。また、本文中に挙げた以外でおもしろいポリスには、11章「ワンの絨毯」に登場する《ロークハンド》ポリスがある。《ロークハンド》の観測修道会は主観的な時間を高速化させることで地質年代単位で生きており、地球の山脈が浸食される様子を観察している。
  5. この違いを象徴するエピソードとして「《カーター - ツィマーマン》の人々は、他人が自分と観境の同じ部分を占めようとするのを好まない」(ディアスポラ, p. 334)というものがある。
  6. もっとも、この選択はガンマ線バーストの一件についてのイノシロウの苦悩の結果だし、ポリス市民には自己をつくりかえる権利があるので、たんに悪だということはできない。