フィルムアート社から刊行されたリミナルスペース 新しい恐怖の美学(著:ALT236 訳:佐野ゆか)を読んだ。
インターネットや建築、ゲーム、絵画、小説など、リミナルな表象を幅広く収集して論じている。画像がふんだんに掲載されていて、ページをめくるだけでリミナルスペースというコンセプトの全体像がなんとなくわかったような気分になる。これが日本語で読めるのはありがたいというほかない。
リミナルスペースの一般的な特徴は、その空間が無人であることだ。だからこそ、わたしたちはそこに憂鬱な自身のすがたが投影されるのを見る。
この仕組みは心霊現象に対しても適用できると著者はいう。たしかに、ある空間に物理的な危険がなにもなかったとしても、そこでかつて殺人があったと聞けばなにか負のエネルギーを感じずにはいられない。
この本の104ページで著者は、超常現象調査ものの番組や映画について論じたのちに、以下のように述べている。
ある場所が恐ろしい場所になるのは、私たちの思いを投影したからに他ならない。 (中略) リミナルスペースにいる幽霊は、私たち自身の感情なのである。
リミナルスペース 新しい恐怖の美学, p. 104
このように表現すると、事態のおそろしさがよくわかるようになる。もし幽霊が現実には存在しないとするならば、それは「私たち自身の感情」であり、幽霊は一人ひとりの頭のなかにいる。
ほんとうに怖いのは、暗い洗面所で鏡越しに幽霊が顔をのぞかせることではなく、世界には幽霊はおらず、わたしたちは自分の脳のなかでよろこんだり怖がったりしているということだ。
しかし、個人の脳がリミナルスペースと接続され、リミナルスペースは画像や動画のかたちをとってインターネット上に共有されるのだから、わたしたちは完全に孤独というわけでもない。